ホクレア・クルーは「EDDIE WOULD GO」とは言わない

      2016/04/22

荒天用の黄色いジャケットとパンツを身につけたエディは、エネルギー源として一袋の角砂糖を渡された。そして、ナイフとホイッスル、ストロボライトを携帯する。エディはライフジャケットを着るのを嫌がったが、ライマンはせめて腰に巻いていけと言って譲らなかった。それからオレンジの入った袋を手渡したが、邪魔になるからとエディは言って、その場でふたつだけ食べた。そして、

1978年3月17日の午前10時30分頃

エディ・ライアン・アイカウは出発の準備を整えた。クルーたちはエディのまわりに集まって別れの言葉をかけ、彼の幸運を祈った。

「みんなで手をつなぎ合って彼の無事を祈りました。私は心の中で何度も念じていたことを憶えています――『お願い、エディ、頑張って』」

エディにも恐怖心はあったのかもしれない。しかし彼は冷静を保ち、自信に満ちていた。

「エディには、恐れを見せるということがなかった」

ナイノアは言う。

「彼には確固たる信念があった。それは理性だけではなく、彼の本能そのものを駆り立てる非常に強い信念だった」

その日の記憶は交錯した感情の波に揺らめいて霞んでいるが、エディが去っていったあの瞬間をナイノアは決して忘れることができない。

「エディはライフジャケットをつけてボードを漕ぎ出した。私は思わず彼の後を追っていた。エディを行かせることことをまだ躊躇っていたんだ。我々は疲れきっていた。ショックから立ち直れなかった。死に直面した現実を認めたくなかったんだ。もう精神的に限界まで来ていた。しかしエディなら奇跡を起こしてくれるかもしれない――エディならできる。ラナイ島まで行けると言うなら、きっと行くだろう――私は彼の手を握った、そして強く握りしめた。我々はカヌーからそれほど離れていたわけではなかったが、近くに他のクルーはいなかった。やがて、エディは言った――『俺は大丈夫だ、すべてうまくいくよ』」

ぼんやりと霞むラナイの島影を目指して、エディは12フィートのロングボードを漕ぎだした。誰にとっても辛い見送りだった。うねりを越えて遠ざかっていくエディの姿を見守っていたクルーの何人かは、カヌーから50フィートほど離れたところでボードをとめた彼がオレンジ色のライフジャケットを脱ぐのを見たという。

『エディ・ウッド・ゴー!!』ハワイの海に消えた永遠の英雄伝説「エディ・アイカウ物語」
第13章 予感 より引用

Hawaiian : The Legend of Eddie Aikau Official Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=8qhnDCPPPgY

僕は、この日の話を、ホクレアの長老クルーの TAVA さんから、直接聞きました。
(TAVA さんはエディを見送った一人です)

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ホクレア・クルー(ホクレア側の人間)は、「EDDIE WOULD GO」とは言わず、

【エディは行かなければならなかった:EDDI HAD TO GO】

と言います。

Who Was Eddie Aikau?
https://www.youtube.com/watch?v=HZd-YVGTGhM
[1:27] EDDIE HAD TO GO

Eddie Would Go: The Story of Eddie Aikau
https://www.youtube.com/watch?v=Nqx9ZRCz4TQ
[9:25] EDDIE HAD TO GO

「EDDIE WOULD GO」は、エディの波乗り仲間のマーク・フーが、
「今の波、エディなら乗ったべ~」みたいな感じで残した名セリフ。
そのマーク・フー(1958-1954)も、カリフォルニアのマーベリックスで、
波乗り中の事故で亡くなっています。

Mark Foo Mavericks
https://www.youtube.com/watch?v=mstqbIKW3fw

2007年のホクレア日本航海の時に、ホクレアに積んであったサーフボード

IMAGE_378
Photo by Toshi

このサーフボードは、横浜でのホクレア解体時に、僕が、仮倉庫まで運びました。
(重たかった~)

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ホクレアの左舷側のナビゲーターシートの下にある、エディのプレート

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Photo by Toshi

横浜では、エディのプレートに、花を供えてくださった方がおられて、
非常に嬉しかったです…

ありがとうございました。

PS.

「俺はヘヴァへヴァの時代までさかのぼるカフナの血を受け継いだことを誇りにしている……クルーの一員として、精一杯の努力をして、全員をタヒチまで安全に導いていくつもりだ」

その日の午後、「パパ」は出発するクルーのために小さなパーティーを開いた。離れ島に住むエディの 友人、リコ・マーティンが訪ねてきたが、彼はとてもパーティーを楽しむような雰囲気ではなかった。鋭い霊感を備え持つ神経の張りつめたハワイアンはアイカ ウ一族と家族ぐるみの付き合いをしていた。リコは才気あふれるミュージシャンでもあり、彼のヒットソング”ワイマナロ・ブルース”はエディのお気に入りの 曲だった。彼は何年も前からエディと一緒にギターを弾き、エディにスラックキーを教え込んだのも彼だった。二人は、言葉よりも音楽を媒介にして長年の友情 を育んできた仲だった。しかし、その日のリコは、不吉なメッセージを中国人墓地に運んできたのだ。彼は墓地の片隅に「パパ」とマイラを呼び、自分の妻が前 夜に見た忌まわしい夢のことを彼らに告げた。「ホクレア号」が転覆して、エディが帰らぬ人となる夢だという。

…………

タヒチに行くことは決めていた。しかし、エディ自身も得体の知れない疑惑と不吉な予感に悩まされていたのだ。

「おそらく、彼自身にも暗い予感があったのでしょう」そのことはリンダにしても定かではない。

「その日の晩、出発の前日ですが、エディは自分の家に私を呼んで家族全員で話し合いました。彼の身に何かが起これば両親があの家に暮らす。そして私はずっと家族として扱われる。彼はそのことを何度も確認していました――誰にもできることではありません、出発までに、彼はあらゆるものを片付けて、私がちょっと驚いてしまうようなことまでしていました」

残っていた支払いをすべて済ませたばかりか、エディはその晩になって遺言状まで書いたのだ。彼はその遺言状をディビッド・ベッテンコートに託した。そしてベッテンコートは、二人の離婚手続がちょうどその日に完了したことをエディに告げた。

『エディ・ウッド・ゴー!!』ハワイの海に消えた永遠の英雄伝説「エディ・アイカウ物語」
第13章 予感 より引用

カフナの血が流れているエディや、ハワイイの一部の人たちには、
あの日に何が起こるのか、実は、わかっていたのかもしれません。

エディは、クルーを救うために、ホクレアからパドルアウトしたのではなく、
白人社会による支配の中で、失われてしまったハワイイの人たちの尊厳と、
アイデンティティーを取り戻すために行ったのだと、僕は、思っています…

EDDIE HAD TO GO

PEACE

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 -【布哇通信】 HAWAII curation journal


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