嘉手苅林昌の歌い方を「呑み声」(ヌミグイ)という

      2016/04/22

ヌミグイ論  当山 忠 Tadashi Toyama

嘉手苅林昌の歌い方を「呑み声」(ヌミグイ)という。これはウチナーグチをもっぱらのコミュニケーション手段とする人たちが言うものである。

声を呑むようにして歌うというのは、実に奇妙な発声法だ。歌を唄うというのは、声を外に出して歌うものであり、決して声を呑み込んで内に吸収するものではないはずだ。声を呑み込めば、歌は外に出されていくよりも、口の中に入ってしまって他人に聴かせるどころではない。

…………

「歌ンリーシェ― 他人ンカイ 聞カシェーアラン。
踊インリーシェー 他人ンカイ 見シーシェ―アラン。」
(歌というものは人に聞かせるものではない。
踊りというものは人に見せるものではない)

これは、古典芸能の達人であった故・金武良章氏の言葉である。もちろん、この言葉に含まれているのは、芸能をビジネス化してはいけないという警句であるが、私は金武氏の言葉に嘉手苅林昌のヌミグイの方法論の根っこを探ってみたいのだ。

嘉手苅林昌の歌の哲学は、ほんとうは”つぶやく”ことだったのではないかと常々、考えている。ここでヌミグイに続いて”つぶやき”が出てきたが、ヌミグイは”つぶやき”を生成する以前の身体構造と考えることにする。

「ヌミグイ」で唄われた原因として、もうひとつの見方がある。嘉手苅林昌のヌミグイの発生理由は、彼がいつもサンシンを肌身離さず持ち歩き、いつでもどこでも弾いていたかったからというのがある。つまり、舞台の端っこや楽屋などで大きな声で唄うと人に迷惑になるので、自然に隠れるようにヌミグイで歌い続けたというのである。

この「ヌミグイ」発生理由は、嘉手苅林昌が練習に励むためにいたるところで唄いたいというより、暇さえあればどこでも”つぶやいて”いたいというのが本当のことのように思える。

嘉手苅林昌が人に聴かせるために唄っていたのではないという命題は、自己陶酔型のロック歌手などとはもちろん違う。嘉手苅林昌の歌は、歌う時点ですでに評価を誰かに預けてしまっているということだ。いや、誰かではない、なにか大きな浄土みたいなものだ。後で言うが、この浄土こそ嘉手苅林昌の母親の内なる像なのだと思える。嘉手苅林昌の歌が、人に聴かせるための歌じゃないと同時に、決して自分のためだけでもないということだ。

ここで歌は誰のためのものでもない、なんの目的のためでもない、ただただ嘉手苅林昌の浄土に向けて放たれているのだと、ひとまず言いきってみることにする。

…………

ここで、何かを言えるとすれば、次のようなことである。嘉手苅林昌は歌好きで歌人であった母・ウシの強い愛情の絆のもとで育っていった。人間性の成長といってもいい。おそらく、嘉手苅林昌が七歳ころから歌いだしていたのは、母親ウシに気にいられるように、または喜んでもらおうというような屈折した気持から出てきたものだと言えるような気がする。その屈折は、やがて「ヌミグイ」及び”つぶやき歌”という当世まれにみる島唄の表現方法を克ちえたのである。

それでは、やはり嘉手苅林昌の歌も外に向かっていく歌じゃないかといわれそうだが、そうではないのである。嘉手苅林昌の母親に向かって唄ったというのは、外に向かっているのではなく、自分に向かっているのである。なぜなら、母親は、自分の内に存在していたのだから。

『EDGE ディープな沖縄が見えるマガジン<エッジ>』
NO.9/10合併号 2000年 Spring より引用

僕は、登川琉で三線を覚えたのですが、
登川琉の宗家、故・登川誠仁先生(せいぐゎーしんしー)と故・嘉手苅林昌さん、
僕の中では、沖縄民謡界のツートップです。

登川琉の新人賞に合格し、三線がだいぶ弾けるようになると、
教室で習う唄ではなく、自分が歌いたい唄工工四を入手して、
もっぱら、自分の歌いたい唄ばっかりを練習するようになりました(笑)

当時の、自分の歌いたい唄の筆頭が、
嘉手苅林昌さんの「ヒンスー尾類小(じゅりぐゎ)」でした。
元歌の「かまやしな節」に、嘉手苅林昌さんが新たに歌詞をつけたもので、
工工四は「かまやしな節」で探しました。
(ヒンスー尾類小では見つかりまへん)

チンダミ(チューニング)は三下げです。
どういわけか、僕は、この三下げというチンダミの唄が大好きで、

・ヒンスー尾類小
・海のチンボーラー
・白雲節
・加那よー
・かいされー
・仲島節

などなど…をレパートリーにしたくて、やたらと練習しました。
(僕の三線は、三下げマシーンです)

嘉手苅林昌さんの持ち歌、三下げが多い?
(つうか、登川琉から完全に脱線してるんですけど)

ヒンスー尾類小
https://www.youtube.com/watch?v=rm2OCrEZWis

嘉手苅林昌 CD「沖縄の魂の行方」より(1) つらね ~ かいされー
https://www.youtube.com/watch?v=cisL2tYqBbE

Rinsho Kadekaru – Shima Jiri Kuduchi 嘉手苅林昌 . 島尻口説
https://www.youtube.com/watch?v=Umath-iDzNM


Rinsho Kadekaru – Jidai no Nagare 嘉手苅林昌 . 時代の流れ
https://www.youtube.com/watch?v=F4DfFGXeq_o


嘉手苅林昌 嘉手久~唐船ドーイ(那覇 牧志公設市場)
https://www.youtube.com/watch?v=Sqh5pIUoU2o

ちなみに、僕は、当山 忠さんの「歌」と「唄」の使い方とは真逆で、

【唄を歌う SING A SONG】

歌:SING(動詞)
唄:SONG(名詞)

って使いかたをします。

PEACE

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 -【琉球通信】 OKINAWA curation journal


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